「振り向けば愛(私の人生のさや)」(最終話) 10年前 「振り向けば愛(私の人生のさや)」(最終話) 10年前 「振り向けば愛(私の人生のさや)」(最終話) 10年前 富岡 由貴『振り向けば愛 (下)』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約0件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。 takakoです。BSイレブンで放映されていた「ホグの愛」。BSイレブンでユイ主演昨がほぼ同時に放映されてるのってどうだろう?と思ったりもしましたが、個人的には「ホグの愛」のドヒの方がユイには向いてない?と思いました。ネタばれあるので、ご注 小椋佳の「ふりむけば愛」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)想い出にするだけの価値もない 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 BSイレブンで放映されていた「ホグの愛」。BSイレブンでユイ主演昨がほぼ同時に放映されてるのってどうだろう?と思ったりもしましたが、個人的には「ホグの愛」のドヒの方がユイには向いてない?と思いました。ネタばれあるので、ご注意を。ただ、ホグは同窓会でドヒに再会。ドヒは何とも思っていないそぶりを装っていたのですが、実はホグに会いたかったんですよねぇ~。そして、ドヒは何でもない振りをしながらホグを夜の海に誘うのです。地上波、BSデジタルで放映予定の韓国/台湾ドラマ情報、あらすじ、感想、無料動画の紹介などをしています。「ホグの愛」をとにかく一言で表現するなら、ほっこり。ホグ役のチェ・ウシクが、妙に癒し系で、見ていて本当にほっこりします(笑)。まぁ、結局はホグ、ドヒ、ガンチョル、ホギョンの4人はそれぞれの気持ちを正直に話さなかったことで、すれ違いと勘違いでおかしくなっていただけなんですけど。それを言い出すと、ホグ両親とガンチョル両親の会話もおかしかった。両方とも子供の名前を言わずに会話し続けるから、お互いに相手をドヒの両親だと思いこんでいましたし。この両家はホギョンとも関係があったから、遠いようで近い関係ではありましたけどねぇ~。この辺りは韓国ドラマお決まりの、「あら、そこにもつながりあるのね!パターン」ですが。まぁ、そんなホグだからこそ、水泳界の女神と呼ばれたドヒも惹かれたというのもありますが。実際、高校生の頃のドヒって目立ってはいましたが、一人孤独。そんな孤独なドヒに、ホグは創作した人魚姫のマンガをプレゼント。そのマンガは本当に孤独な人の隙を突く内容だなぁ~と思えるモノだったのですが、やはりドヒの心も突き刺し、ドヒはホグが好きになったのです。で、ホグに会うために、ホグの実家である古本屋にも行ったりするのですが、もちろんホグは気付きません。それどころか、ドヒはガンチョルとつき合っていると勘違いし、ドヒを遠ざけてしまいジ・エンド。正直、ドラマの序盤だけを見ていると、ドヒはホグを弄んでいるようにしか見えないんですが、後半になってドヒの心情が出てきて、あららびっくりみたいな。えっ、ドヒってホグ好きだったの?って感じで、ちょっと想定外。それよりも、ガンチョルもホグが好きというおかしな三角関係も笑わせてくれます。特に、双子の妹役ホギョンと正反対の性格が、余計にそのほっこりさを助長。それどころか、ホグ一家というのは妙に温かい。こんな家族っているんだろうか?というくらい、温かいんです。
takakoです。BSイレブンで放映されていた「ホグの愛」。BSイレブンでユイ主演昨がほぼ同時に放映されてるのってどうだろう?と思ったりもしましたが、個人的には「ホグの愛」のドヒの方がユイには向いてない?と思いました。ネタばれあるので、ご注 そんな絶賛された『愛、アムール』の感想ですが、高評価も頷けるスゴい作品です。観賞後、心にズッシリと深い余韻を残すことと思います。 ハネケ作品は、挑戦的な内容で人間の心の闇を鋭く抉り取る作風が特徴で、後味の悪い作品ばかりですが、本作には嫌な余韻というのはありませんの� 「振り向けば愛(私の人生のさや)」(最終話) 10年前 「振り向けば愛(私の人生のさや)」(最終話) 10年前 「振り向けば愛(私の人生のさや)」(最終話) 10年前 見ててつらかったし、語るのもつらい映画です。面白い映画ではないし、ハッピーエンドでもないため、ラストまで見ると暗い気持ちになる人が多い気がします。しかし、人間の闇ではなく愛を描いているので、いやな気持にはならないです。 両親や自� 『愛、アムール』ネタバレ感想の総括 . Janne Da Arcの「振り向けば…」歌詞ページです。作詞:yasu,作曲:ka-yu。(歌いだし)振り向けば君がいてまた何気なく 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 富岡 由貴『振り向けば愛 (上)』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約0件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。
『愛、アムール』はオーストリアの奇才ミヒャエル・ハネケ監督が、老夫婦の介護を通して愛の姿を描いたヒューマンドラマです。各国で数々の賞を受賞した世界的にも高評価の作品であり、ミヒャエル・ハネケは本作で2年連続のパルムドールを受賞しています。一方、ジョルジュはそんな妻をよそに献身的に介護していく。粗雑な看護婦も辞めさせ、たったひとりで。長年連れ添った愛する妻の介護だし、ジョルジュもそれに生き甲斐を感じていたに違いありません。だから妻が水を拒否したら、殴ったりしたのです。水を飲まなければ病院に行って点滴を打つぞとまで言っています。アンヌは言う「かくも長く、素晴らしい人生」。それはまるで「人生は素晴らしかった、もう十分よ」と聞こえます。また、主演のジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァの演技が本当に素晴らしい。ジャン=ルイ・トランティニャンは言わずもがな、ヌーベルヴァーグ時代から活躍するフランス映画界の重鎮です。外界から孤立した老人の孤独を背中で語り、妻への愛を黙々と行動で語る。その哀愁が非常に愛おしかった。鳩は一般的に「平和」のシンボルですよね。『愛、アムール』でも平和の象徴であることに違いないのですが、分かり易く言うとこの映画での鳩は「安楽死」を象徴します。なぜなら映画ではアンヌの安楽死が「平和」をもたらすからです。決して介護で苦しいから、辛いからじゃないんですね。それじゃあただの殺人なんで。妻が辛くても生きたいと願っていたら、ジョルジュは最後まで面倒を見たでしょう。夢が暗示するのは、将来への不安と恐れです。今後の介護生活はジョルジュの息を止めてしまうくらい苦しいものだという表れです。この映画のラストを介護疲れと捉える人もいますが、それは違います。ジョルジュにとって介護ははっきり言って苦ではなかったと思います。セリフでも言っています。つまりジョルジュは右側のキッチンの隣の部屋でガスで…と推測できます。ハネケ作品は、挑戦的な内容で人間の心の闇を鋭く抉り取る作風が特徴で、後味の悪い作品ばかりですが、本作には嫌な余韻というのはありませんのでご安心ください。『愛、アムール』では水のシーンが象徴的に描かれます。水は「命」を象徴しています。初めの蛇口の水が出っ放しのシーンで、意識の戻ったアンヌが水を止めました。「信じられないかもしれないが、鳩が二回も来た」と書いたのは、「平和・安らぎ」が二回も来たのでジョルジュにとっては大変驚きだったから、そう書いたのです。ジョルジュとアンヌは共に音楽家の老夫婦。娘も音楽家で、弟子のコンサートに行ったり幸せな日々を送っていました。そこに突如、悲劇が襲います。アンヌは脳梗塞となり、手術も失敗して右半身が麻痺。不自由な生活を余儀なくされます。エゴと愛の間で葛藤する孤独な人間心理を、淡々とした映像ながら、巧みに描き出しています。ハネケは常に、誰にでも起こり得ることを描きます。日常に潜む狂気や不条理。その描写が上手です。オープニングで消防が部屋に入ると、アンヌだけが横たわっていたので、ジョルジュは行方不明になったと思うかもしれません。でも消防が来たのは多分、死臭じゃなくガスの匂いのためです。アンヌの部屋はテープで密封したので匂いは漏れないと思います。アンヌの部屋の窓も開けていたし。消防が来たこと自体、ガスであることを表しています。勿論、妻が我を忘れていく姿は辛いですが、ジョルジュにとっては生きてさえいてくれれば、自分が傍で面倒を見れます。本当はずっとそうしていたかった。2回目の鳩のシーンでは、捕まえて毛布で包み、優しく撫でていました。まるで、もう逃がさないぞと言うように。「安楽死」を受け入れたってことになります。実際にアンヌに手をかけたシーンの後です。ジョルジュは自分の想いを取るか、妻の想いを取るかでずっと葛藤していました。パリのアパルトマンに住む元音楽家の老夫婦ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)は、引退後も二人で仲良く暮らしていた。娘のエヴァ(イザベル・ユペール)も音楽家としてイギリスで忙しい日々を送る。そんなある日、アンヌが脳梗塞を患ったことから、夫ジョルジュの献身的な介護が始まっていくが…。そんな絶賛された『愛、アムール』の感想ですが、高評価も頷けるスゴい作品です。観賞後、心にズッシリと深い余韻を残すことと思います。まだアンヌの症状がそんなに悪く無い頃、ジョルジュは夢をみます。それは水浸しの廊下で口を塞がれる夢。1回目の鳩のシーンで、ジョルジュは窓からハトを追い払いました。妻は寝たきりで会話もまともにできない状態になった時。でもまだ「安楽死」のことは考えていなかった。冗談じゃないよって感じで。まだ観ていない人は、老人の映画かあ退屈そうだな~と思って観たら痛い目を見ます。たしかに前半は、ワンショットの長回しが多く退屈するかもしれませんが我慢してください。どんどん面白くなっていきますよ。ピアノ教師で誇り高いアンヌは入院を拒否します。まして他人に身体を拭いてもらったり、排泄の世話をしてもらうなんて耐えられない。屈辱よりも彼女は死を望みました。終わりにしたいとジョルジュに頼みます。彼女が生きる気力を失うのと呼応するように、症状はどんどん悪化していきます。でもアンヌへの安楽死を実行する前のシーンで、アンヌがひと時自分を取り戻し会話して手を握ります。その時ジョルジュは、「妻の想い」を思い出したんです。ピアノ教師で気高かった妻。その妻の願い通りにしようと決めたのです。ジョルジュがラストの幻想シーンで横たわっていたのは、キッチンの隣の部屋です。キッチンは玄関を入って右奥なんですね。オープニングではアンヌの部屋を含む左側しか映していません。キッチンを映さなかったのは意図的です。自分の想い(エゴ)ではなく、妻の想い(愛)を選択したのです。その選択はジョルジュ自身の死(犠牲)も付いてきます。それは今後の二人の姿を暗示しているかのようです。つまりジョルジュは水を出しっぱなしにした=アンヌの命を止めたくない。アンヌは止めた=人生を終わりにしたいと思っている。以上、人生最後の時に輝いた愛を描いた映画が『愛、アムール』でした。それは長年連れ添った夫婦にしか分からない愛。誰も入ることが出来ない二人の強い絆。『愛、アムール』では冒頭からいきなりネタバレで始まります。オープニングにそのシーンを持ってくることで、観客はどうしてこうなったのか?と物語に否応なしに引き込まれていく。ジョルジュにとっては死なれたら困るんです。生き甲斐だから。それは言い換えればジョルジュのエゴです。でも妻は死を望んでいる。ジョルジュの真の苦しみは、介護疲れではなく、エゴと愛の間で揺れる葛藤です。結末でジョルジュは夢なのか幻想なのかを見ます。起きるとキッチンにはアンヌが皿洗いをしていました。なので最後のジョルジュの幻想的なシーンが意味するものは、普通に仲良く旅立ったということですね。果たしてそこにあるのは愛なのか?鳩は何を意味するのか?ここからは映画『愛、アムール』の解説と疑問点の考察をしていこうと思います。ちなみに「アムール(愛)」というタイトル、ハネケ監督が皮肉で付けたのかなと思ったのですが、ジャン=ルイ・トランティニャンがこのタイトルにしないかと監督に提言したそうです。また本作は、ハネケの叔母の病床体験から着想を得ています。また、愛を掴んだってことでも良いと思います。ラストは本当に平和で穏やかな時が流れ、二人はピース(安らぎ)を得ました。鳩がうんぬんという手紙は娘宛の遺書だと思います。