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芥川龍之介の『羅生門』や夏目漱石の『こころ』と並び、今でも教科書の定番教材として用いられています。ぴよすけです。 中島敦の代表作、『山月記』は普通に読んでもおもしろいです。想像を膨らませるともっとおもしろいです。 特に李徴という主人公、本当はめちゃくちゃ腹黒いんですよ?[…]同じく高校で学ぶ作品として、森鴎外の『舞姫』のほうが、全編通して難しく感じた気がします。いくらも時間が経たないうちに李徴は役人を辞め、故郷の虢略に戻り、人との接点を絶ってひたすら詩を作ることに没頭しました。数年後、生活の苦しさに耐えられず、妻子を養うために「詩家として成功する」という志を曲げ、再び東に赴き地方の役人として働くことになりました。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を追うて苦しくなる。李徴はようやく焦燥にかられてきた。『山月記』の難しさとはどのようなものか、次にみていきましょう。第一段落がわかるようになるだけでも、『山月記』がグッとおもしろくなりますよ!一方でこのころから生涯の持病となる喘息に苦しむようになります。32歳で『山月記』が発表され、作品が認められ始めた矢先、病気によって33歳の若さで亡くなってしまいます。さらに途中で漢詩も登場するので、国語が嫌いな人にとっては読みづらい文章でしょうね。少しでも好きになってもらうためにおもしろい読み方を紹介しています。李徴はいつも不満を持って楽しむこともなく、叫びたくなったり誰かを傷つけたくなったりする思いは我慢の限界に達していました。理由は2つ。一つ目は妻子の衣食(生活)のため、もう一つは詩業に絶望したためです。ここでは第一段落内の李徴が発狂するまでの部分を触れていきます。李徴が発狂→虎となって友人・袁傪の前に現れる→話をしたあと李徴が姿を消す漢文は古典の授業だけでお腹いっぱいの人にとって、この第一段落は「死の段落」となるでしょう。笑人物の行動の流れより、気持ちの流れを読み取るほうが重要な小説となります。作者の中島敦は、漢学者の一家で育ち、幼いころから漢学に触れていました。生活が苦しくなってきたこのころから、李徴の見た目も厳しく尖った様になります。一見難しく思うような文体ですが、第一段落以降の大半はなんとなく意味が理解できてしまいます。今時の高校生は「今日、友人と久闊を叙してきたよ」なんて言いませんよね!笑『山月記』は次の2点で示すようにシンプルな構造で、20~30分で読める短編小説です。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。その人たちから命令されることで、才能を持ち合わせている李徴にとってプライドが傷ついていました。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。本作品は唐の『人虎伝』が題材となっています。『人虎伝』と比較すると面白いですよ。『山月記』をきちんと読めれば、共感できる部分や納得できる部分は大いにあります。大きく誰かがアクションを起こす・場所の移動がある等の構成はほぼありません。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作にふけった。当ブログをご覧いただきありがとうございます。昼は現実世界でお勤め、夜は仮想空間に身を寄せるぴよすけと申します。このブログでは小説や映画など「製作者の意図」を考えたり、日々の「気づき」を徒然なるままに記したりしています。隴西出身の李徴はとても優秀な男で、天宝の末年には若いのに官吏(=役人)登用試験に合格し、江南地方の治安にあたる役人となりました。ぴよすけです。中島敦の代表作である『山月記』は、中国古典の『人虎伝』が下地になっています。『人虎伝』はすべて漢文なので、高校生のときに読むのが大変でした… この記事では『人虎伝』の現代語によるあらす[…]隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。しかし、そう簡単に李徴の名が評判になることもなく、生活は日に日に苦しくなっていきます。24歳で横浜高等女学校の教員になりますが、文学への思いが断ち切れず創作活動を続けます。李徴は20歳前後で合格しているいため、非常に優秀だったといえるでしょう。冒頭部分で「この作品は難しい」という固定観念ができてしまいがちな、可哀そうな物語です。笑構造自体はシンプルなのですが、多くの初見の人(特に高校生)にとっては難しい作品に感じるはずです。李徴が昔、のろまな人物だと相手にしなかった同僚たちはすでに高い地位まで出世していました。中島敦は『人虎伝』の流れを用つつ、登場人物の心情に味付けをして『山月記』を完成させました。また、何が『山月記』を難しくさせているかという考察もしています。身分の低い役人として長い間、目上の役人の言いなりになるよりは、詩家として名を死後にも残そうとしたのです。しかし頑固な性格なうえ、自分自身の力をとても信用している(=プライドが高い)ため、身分が低い役人でいることに満足していませんでした。痩せて頬骨が出てきたり、眼光が鋭さを増したりして、かつて科挙に合格したころのふっくらした見た目はとは、まったく異なっていました。この部分できちんと理解できないと、第二段落以降で話がつながらなくなってしまい、難しく感じることになってしまいます。この記事では作品・作者のデータとともに、これから『山月記』を学ぶ高校生に向けて第一段落の解説をしています。「『山月記』は難しい言葉がたくさん出てくる」という印象を持たせてしまうのは間違いありません。かつての同輩はすでにはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。このころからその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、かつて進士に登第したころの豊頬の美少年のおもかげは、いずこに求めようもない。 この記事では、高校国語の定番小説である『山月記』の第一段落の解説をしています。『山月記』は物語自体、シンプルな構造になっているんですよ。難しい語句は使われていますが、きちんと内容をつかめば面白い小説です。 まずは『山月記』の冒頭を解説しよう 『山月記』の冒頭はこんな感じで始まります。 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ずから恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。 『山月記』ってむずかしい?対比で読むと超簡単!ここでは『山月記』の影の主役に焦点を当てながら、あらすじから解説まで分かりやすく説明していきます。 『山月記』を読む -8世紀中葉の中国を舞台にした物語として- 長谷川 達 哉 〈キーワード〉中島敦 山月記 国語教育 定番教材 はじめに 2017年度の第2学年「現代文B」では、中島敦の『山月記』を教材として、この作品を様々 あと、漢文にはストーリーがはっきりしてて面白いものも多い。キャラもぶっとんでる。豪傑のエピソードに「そいつが酒を樽ごと飲んで、生肉をそのまま食ったので、周りが皆ドン引きした」とかある。それどういう豪傑アピールなの? お腹強いよってことなの?江南尉が賤吏呼ばわりされちゃってる件ですが、唐代にはこの地方、めちゃくちゃ田舎。敵がガンガン攻めてくるような地域でもないし、そもそも唐代だと軍事警察系はあんま権力なかったらしい。つまり李徴くん、優秀な自分が不人気部署に配属されて、すねた。この場面ちょっと笑ってしまうんですよね。地元の役人が「人喰い虎が出るんで昼まで待ってください」って言うてるのに、「大丈夫大丈夫! 同行者いっぱいおるからいけるいける!」って忠告無視して森へ突入。万一タイトルでわからなくても、李徴が虎になるあらすじと、「その声は、我が友、李徴子ではないか?」の台詞くらいは耳にしたことがあるんじゃないかな。袁※(「にんべん+參」)は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、愧赧の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。姿を見せるのをあれほど拒むのも、親友だった袁サンには、あの輝かしい天才美少年だった頃の自分を覚えていてほしいからかもしれない。虎の姿で上書きされたくないんだ。メインストーリーに入る前に、冒頭の時代背景を踏まえておきたいと思います。理解しやすいように現代風に解釈してみます。別にいいやって人は読み飛ばして次へ。最初からフルスロットルで難しい。漢文訓読体が慣れない我々には読みにくい。その上、物語の舞台は唐代の中国。文化的にも地理的にも勝手が違います。私たぶん、社交的で努力家な秀才と、根暗な天才肌の組み合わせに弱いな。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯々として、曾かつて進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処どこに求めようもない。隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ずから恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。つまり、漢文をそのまま無理やり日本語にしてる上に、その日本語部分も私たちには馴染みがない。そりゃ脱落する高校生も出ますわ。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁※(「にんべん+參」)は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢(くさむら)の中から躍り出た。院生のメンタルにはむちゃくちゃぶっ刺さるであろうこの展開。つらい。博士の就職難……「偶然親友に会えて、自分の姿への恥じらいを忘れるほど懐かしい。どうかほんのしばらくでも、我が醜悪な今の外形を気にせずに、かつて君の友李徴であった私と話してほしい。」袁※(「にんべん+參」)は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁※(「にんべん+參」)の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。いくばくもなく官を退いた後は、故山、※(「埒のつくり+虎」)略(かくりゃく)に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。bloodandsugar-akaiさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?学者としての自分の才能に絶望していた李徴。その上仕事でもプライドを傷つけられて、メンタルがどんどん病んでいく。攻撃的で非常識になり、ついにはある日完全におかしくなり、突然叫びだして失踪してしまった……。後で考えれば不思議だったが、その時、袁※(「にんべん+參」)は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁※(「にんべん+參」)が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、袁※(「にんべん+參」)は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊たずねた。草中の声は次のように語った。……たぶん誰もがタイトルくらいは知っている小説。国語の授業で習った人も多いと思う。しかし、虎が隠れた草むらから聞き覚えある人間の声がするからと言って、とっさに「その声は我が友!」って思い当たるのすごいな。袁サン、柔軟。頭の回転が早い。さすが超エリートなだけある。翌年、監察御史、陳郡の袁※(「にんべん+參」)えんさんという者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。私ならこうなるわ。もうそんな考え込んでる隙に李徴逃げてるわ。物語ここで終わってたわ。ていうか始まってすらなかったわ。よかったわ登場人物が袁サンで。
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