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ベースキャンプの娯楽といえば、テントの中で将棋(11:37)もやっていましたね。トランプ(10:25)はなにをやっていたんですか? インド人の登山連絡官も参加していたから、ポーカーですか?「クライミング自体はぜんぜん問題ないんですけど、ビバークしたときの寒さの耐性とか、回復力とかですね。ビバークなんて一睡もできないんですけど、20代は寝ないなりに動けるんですよね。」これでダラムスラ西壁は未踏ではなくなったわけですが、もう一度チャレンジしたいとは思いますか?「みんなiPodは持ってきていましたね。でもあんまり音楽は聞かなかったな〜。」「去年ぐらいから、長男と次男とボルダー登ったり、山へ行きはじめました。今年は、テント担いで北アルプスのどっかへ行ってみようかと話しています。下の坊主がやっとオネショしなくなったんですよ。(笑)テント生活でオネショってきついですもんね。」1969年福島県生まれ。ザ・ノース・フェイスグローバルアスリート。高校時代から山岳部に所属し、信州大学在学中に本格的なロッククライミングをはじめる。2009年ネパールヒマラヤテンカンポチェ峰(6,550m)北東壁初登攀など、国内外の山々で先鋭的な登攀を重ねる。2012年キャシャール南ピラー(6,770m)初登攀で登山界のアカデミー賞、ピオレドールを受賞。若手育成のためにアルパインクライマーミーディングを主催し、日本のアルパインクライミングシーンを牽引する。3児の父。長野県松本市在住「インド登山局のドミトリーに泊まっていたんですけど、公的な機関だからタバコと飲酒は建前上禁止なんですよ。でも上田さんとぼくは、どうしても部屋の中で酒飲みたくて。外でいろいろ買ってきて、ドミトリーでおおっぴらに飲むわけにいかず、じゃあシャワー室で飲むかって(笑)不良高校生じゃあるまいし。どうしようかって話していたら、インド人パーティーがウイスキー持ってきて、おいおめーらも一緒に飲めって誘ってくれたんで、救われましたね。インドのラム酒、美味しかったなあ。」ところで今回登った無名峰ですが、初登の3人に命名権があるということですね。3人でどういう名前にするか考えていたりするんですか?山の高さはたしかに魅力ではあるけれど、未踏峰であり、クライミングの質にこだわりたいということですね?「そういうのにはエネルギーを注いだことはないですね。申し訳ないですけどね。」ダラムスラ西壁のアプローチがあまりにも危険という判断から、目標を無名峰に変更しました。気持ちの切り替えの早さや、写真だけの情報で未踏峰を登りきってしまうところはさすがです。日本のクライマーはみんな自費で遠征を行っているイメージですけど、そういうポリシーみたいなのがあるんですか?「どうする?って聞いたら、ふたりとも「うーーーん」って言ったっきり。興味ねーんだなこいつらと思いました。(笑)というわけで決めてません。いずれ初登頂の記録申請を提出したインド登山局から名前どうする?って連絡がくるとおもうんですけど。つけなくてもいいかなー。」「やっぱりかっこいいなって思いました。かなり登れるつもりでもいたんですよね。壁の高低差は1000mくらい。アイガー北壁みたいってイギリス隊は言っていたけど、アイガー北壁くらいだったら登れるなと。さくっと登って、釣りでもして帰るか、みたいなお気楽な。ダラムスラ自体は何度も登られている山ですが、西壁は未踏だと思っていました。」「ぜんぜん拒みませんよ。ただどういう義理かにもよりますよ。義理が少なければ少ないほど、シンプルには登れることは間違いないですから。でも山にいけるなら、背に腹は変えられない。(笑) ネパールよりもインドの方が安くあがるかと思ったらそうでもなかったですね。結構かかりました。ひとり75万円くらい。50万円くらいで収まると思っていたんですけど、甘かったですね〜。」「昔はあったけどいまはぜんぜんないなあ。なんでだろ? ただで行ってこいと言われたら、行くかもしれんけど(笑)。K2は登ってみたいけど、K2に登るお金があったら、6,000m峰3つ登れますよ。あと、8,000m級の山は行ったことがないので、これから8,000m級に登るとなると、まず歩いて登れるノーマルルートを登って自分の体がどうなるかというのを知ることからはじめないといけない。高度順化にも時間がかかるから、最低でも2ヶ月間は欲しいところ。2ヶ月休んだらさすがに首になっちゃうかな〜(笑)」「ずいぶんあとの11月頃でしたね。上田さんから『驚きの情報』とかいうメールが届いて、『登られてた』って。はよ、いうてくれやって感じでしたね(笑)」「ぼくも上田さんも大好きなんですよ。登頂祝い用にベースキャンプへビール500ml缶を3本運び上げていました。アタック終わって、山頂踏んでからのビールはさすがにうまかったなあ。3本じゃぜんぜん足んねーやっ、失敗したーって。倍あってもよかったねっていうのが今回の反省点ですね。(笑)」でもそのときすでに、韓国隊が登っていたと。韓国隊がダラムスラの西壁を登ったと知ったのは、いつ頃ですか?「そうですね。標高が高くなると難しいクライミングはできないですよね。酸素が薄いから。よっぽど超人的な人でないと。ぼくはやっぱりテクニカルな壁っぽいルートが好きなので、そうなるとやっぱり6,000mから7,000m前半くらいの方が、全力を出し切って、楽しいクライミングができますよね。」さぞ、デリーへ下りてからの打ち上げは盛り上がったことでしょう。今回は、長引く雨のせいで停滞日が多くなりました。ベースキャンプでの楽しみといえば、食事だと思いますが、なにを食べていたんですか?「転進した無名峰を登っているとき、かなりの確率でこれは未踏だなという感じはありました。ロープで懸垂下降して下りないといけない岩壁なので、登られていればなにかしらの痕跡は残るはずなんですよ。誰も立ったことがない一番上までいってみたいなあとずっと思って、登っていました。結構ドキドキしましたよ。ヘッドウォールって呼んでいましたけど、一番傾斜がきついところがビレー点から死角になるんですよ。もしツルツルの壁のスラブ帯がでてきたら、一回下りて、違う面を探さないといけないですからすごい仕切り直しになるなあと。氷が繋がっているのを見たときは、嬉しかったですね。これで登れると。登っていると、スラブ帯の上に氷が張っているというのがだんだんわかってきて、雪が降って、溶けて、氷に発達して、かえってあの雨がよい方に転んだんだと思いました。」自分たちが初登頂したという証を、山頂に残してきたりするものなのですか?「山岳ガイドをやってしまうと、土日家にいなくて、子供との時間がなくなるなあと思って。かみさんがわりと仕事が趣味みたいな感じで、多い月には10日以上出張するんですよ。だから子供が小さいうちは無理かなあと。あと6年すると下の子が中学校へあがるんで、ガイドをやるなら5、6年後でしょうか。」「アタック食は全部日本から持っていきました。だいたい2週間分くらいですね。高度順化と、アタック用の食事です。アタック食といったって、日清食品のカレーメシと詰め替え用のどん兵衛、エナジージェルのショッツ、この3種類だけですよ。あと行動食はインドでグラノーラを買ったり。インスタント系の食べ物は、やっぱり日本から持って行った方がいいですね。インドやネパールにもインスタントラーメンの種類はいっぱいあって、片っ端から買って試してみましたが、ハズすとすごい味ですよ。これは高所では吐いちゃうんじゃないかというくらい。やっぱり日本のどん兵衛が高所の胃には一番優しくて、いいですね。」馬目さんほどのトップクライマーなら、スポンサーを募って遠征費を集められそうですが、なぜそれをやらないのですか?「そういうことはしないですね。でも必然的に残っちゃいますよね。頂上から懸垂下降しないといけないので、支点は残る。今回は、岩にかけたスリングが残っています。」「だいたいぼくの遠征は、一年おきなので今年はお休みして、来年どこへ行こうかと上田さんと連絡をとりあっていますね。上田さんはペルー行きたいなあって言ってましたね。ペルーもいいけど、ぼくはもう一回ヒマラヤの未踏峰に行きたいなあと思っていて。」「どっちかというと、逆で、俺の方が引きづられるんですよ。若い連中に。その結果、オーバーワークになりかねないなという気もして。1泊2日くらいなら若いやつと組んでやるのもいいんですけど、やっぱり長期山行となると同じくらいの歳のメンバーがいいなと。そういう意味では今回はよかったですね。」50代を目前にして、体力の衰えを感じるようになったということは、これから馬目さんはアルパインクライミングの第一線から退いていくのでしょうか?「はい、古本屋で買った厚い単行本です。本は可能な限り持っていきますね。今回は少ない方で、7、8冊。3人あわせたら20冊くらいあったと思いますよ。読み終わった本は、キッチンテーブルに積んでおくんです。そうすると、みんな勝手にそこからとって読む。今回一番面白かったのは、黒田さんが持ってきた吉村昭の『深海の使者』ですね。第二次世界大戦中に日本から同盟国であるドイツへ連合軍に見つからないよう潜水艦を派遣しているんですよ。ジブラルタル海峡を超えると連合軍の勢力範囲なので、ほとんど浮上できない。だから船内がどんどん汚染されて、しかも潜水艦の中は狭くて、これビバークみたいだわって。これビバークよりきついわって盛り上がって。(笑)」これまでの遠征先のネパールでは、村々のロッジに泊まって歩くロッジスタイルで、今回は久々にテントに泊まりながら歩くベースキャンプ方式をやったとムービーのなかでおっしゃっていましたね。「エージェントに頼んでいたコックさん、いわゆるキッチンサポーターがふたりいて毎食彼らが作ってくれました。基本はダルスープとお米ですね。今回はコックをハズしましたね。いままでで一番ひどかったなあ。いやー、いい人なんですけど、料理の腕がいまいちで。それでいて毎日同じメニューなんですよ。3人とも食にうるさい方じゃないんですけど、さすがにきつかったなあ。毎日豆と米。いやー、やられました。」その無名峰の頂上から、ダラムスラ西壁の全容が見えたんですね? どうでしたか?若いメンバーが、馬目さんにあわせるようなカタチになるということでしょうか?お金を出させてください!というスポンサーがいたら拒まないということですね?「ラホール山群の30、40年前の写真があるんですけど、その頃といまとでは、山の様子がぜんぜん違ってて。山へ取り付く間に氷河が後退してできた斜面が100m、200m規模でアリ地獄の縁みたいなガレ場がずーっと両側にあるんですよ。ムービーでもありましたけど、雨が降るとあちこちで土砂崩れが起きて。どこの山もそうなんですよね。唯一僕らが転進した無名峰は、氷河からまっすぐ壁が立っているから危なくなかったんです。だからもう一回あの山域に行っても、あのガレ場を越えないといけないと思うと、ちょっと危ないなあと。だから、もういかないかな。」「いや、あれは大貧民ですね。大貧民しかしなかったですね。インド人の彼に教えて、4人で。そしたら彼はインテリなもんで、大貧民強かったですね(笑)」「ないです。みんなめんどくさがっているだけじゃないですか。(笑)」多方面から聞かれると思うんですが、なぜ馬目さんは山岳ガイドをやらないんですか?
ベースキャンプの娯楽といえば、テントの中で将棋(11:37)もやっていましたね。トランプ(10:25)はなにをやっていたんですか? インド人の登山連絡官も参加していたから、ポーカーですか?「クライミング自体はぜんぜん問題ないんですけど、ビバークしたときの寒さの耐性とか、回復力とかですね。ビバークなんて一睡もできないんですけど、20代は寝ないなりに動けるんですよね。」これでダラムスラ西壁は未踏ではなくなったわけですが、もう一度チャレンジしたいとは思いますか?「みんなiPodは持ってきていましたね。でもあんまり音楽は聞かなかったな〜。」「去年ぐらいから、長男と次男とボルダー登ったり、山へ行きはじめました。今年は、テント担いで北アルプスのどっかへ行ってみようかと話しています。下の坊主がやっとオネショしなくなったんですよ。(笑)テント生活でオネショってきついですもんね。」1969年福島県生まれ。ザ・ノース・フェイスグローバルアスリート。高校時代から山岳部に所属し、信州大学在学中に本格的なロッククライミングをはじめる。2009年ネパールヒマラヤテンカンポチェ峰(6,550m)北東壁初登攀など、国内外の山々で先鋭的な登攀を重ねる。2012年キャシャール南ピラー(6,770m)初登攀で登山界のアカデミー賞、ピオレドールを受賞。若手育成のためにアルパインクライマーミーディングを主催し、日本のアルパインクライミングシーンを牽引する。3児の父。長野県松本市在住「インド登山局のドミトリーに泊まっていたんですけど、公的な機関だからタバコと飲酒は建前上禁止なんですよ。でも上田さんとぼくは、どうしても部屋の中で酒飲みたくて。外でいろいろ買ってきて、ドミトリーでおおっぴらに飲むわけにいかず、じゃあシャワー室で飲むかって(笑)不良高校生じゃあるまいし。どうしようかって話していたら、インド人パーティーがウイスキー持ってきて、おいおめーらも一緒に飲めって誘ってくれたんで、救われましたね。インドのラム酒、美味しかったなあ。」ところで今回登った無名峰ですが、初登の3人に命名権があるということですね。3人でどういう名前にするか考えていたりするんですか?山の高さはたしかに魅力ではあるけれど、未踏峰であり、クライミングの質にこだわりたいということですね?「そういうのにはエネルギーを注いだことはないですね。申し訳ないですけどね。」ダラムスラ西壁のアプローチがあまりにも危険という判断から、目標を無名峰に変更しました。気持ちの切り替えの早さや、写真だけの情報で未踏峰を登りきってしまうところはさすがです。日本のクライマーはみんな自費で遠征を行っているイメージですけど、そういうポリシーみたいなのがあるんですか?「どうする?って聞いたら、ふたりとも「うーーーん」って言ったっきり。興味ねーんだなこいつらと思いました。(笑)というわけで決めてません。いずれ初登頂の記録申請を提出したインド登山局から名前どうする?って連絡がくるとおもうんですけど。つけなくてもいいかなー。」「やっぱりかっこいいなって思いました。かなり登れるつもりでもいたんですよね。壁の高低差は1000mくらい。アイガー北壁みたいってイギリス隊は言っていたけど、アイガー北壁くらいだったら登れるなと。さくっと登って、釣りでもして帰るか、みたいなお気楽な。ダラムスラ自体は何度も登られている山ですが、西壁は未踏だと思っていました。」「ぜんぜん拒みませんよ。ただどういう義理かにもよりますよ。義理が少なければ少ないほど、シンプルには登れることは間違いないですから。でも山にいけるなら、背に腹は変えられない。(笑) ネパールよりもインドの方が安くあがるかと思ったらそうでもなかったですね。結構かかりました。ひとり75万円くらい。50万円くらいで収まると思っていたんですけど、甘かったですね〜。」「昔はあったけどいまはぜんぜんないなあ。なんでだろ? ただで行ってこいと言われたら、行くかもしれんけど(笑)。K2は登ってみたいけど、K2に登るお金があったら、6,000m峰3つ登れますよ。あと、8,000m級の山は行ったことがないので、これから8,000m級に登るとなると、まず歩いて登れるノーマルルートを登って自分の体がどうなるかというのを知ることからはじめないといけない。高度順化にも時間がかかるから、最低でも2ヶ月間は欲しいところ。2ヶ月休んだらさすがに首になっちゃうかな〜(笑)」「ずいぶんあとの11月頃でしたね。上田さんから『驚きの情報』とかいうメールが届いて、『登られてた』って。はよ、いうてくれやって感じでしたね(笑)」「ぼくも上田さんも大好きなんですよ。登頂祝い用にベースキャンプへビール500ml缶を3本運び上げていました。アタック終わって、山頂踏んでからのビールはさすがにうまかったなあ。3本じゃぜんぜん足んねーやっ、失敗したーって。倍あってもよかったねっていうのが今回の反省点ですね。(笑)」でもそのときすでに、韓国隊が登っていたと。韓国隊がダラムスラの西壁を登ったと知ったのは、いつ頃ですか?「そうですね。標高が高くなると難しいクライミングはできないですよね。酸素が薄いから。よっぽど超人的な人でないと。ぼくはやっぱりテクニカルな壁っぽいルートが好きなので、そうなるとやっぱり6,000mから7,000m前半くらいの方が、全力を出し切って、楽しいクライミングができますよね。」さぞ、デリーへ下りてからの打ち上げは盛り上がったことでしょう。今回は、長引く雨のせいで停滞日が多くなりました。ベースキャンプでの楽しみといえば、食事だと思いますが、なにを食べていたんですか?「転進した無名峰を登っているとき、かなりの確率でこれは未踏だなという感じはありました。ロープで懸垂下降して下りないといけない岩壁なので、登られていればなにかしらの痕跡は残るはずなんですよ。誰も立ったことがない一番上までいってみたいなあとずっと思って、登っていました。結構ドキドキしましたよ。ヘッドウォールって呼んでいましたけど、一番傾斜がきついところがビレー点から死角になるんですよ。もしツルツルの壁のスラブ帯がでてきたら、一回下りて、違う面を探さないといけないですからすごい仕切り直しになるなあと。氷が繋がっているのを見たときは、嬉しかったですね。これで登れると。登っていると、スラブ帯の上に氷が張っているというのがだんだんわかってきて、雪が降って、溶けて、氷に発達して、かえってあの雨がよい方に転んだんだと思いました。」自分たちが初登頂したという証を、山頂に残してきたりするものなのですか?「山岳ガイドをやってしまうと、土日家にいなくて、子供との時間がなくなるなあと思って。かみさんがわりと仕事が趣味みたいな感じで、多い月には10日以上出張するんですよ。だから子供が小さいうちは無理かなあと。あと6年すると下の子が中学校へあがるんで、ガイドをやるなら5、6年後でしょうか。」「アタック食は全部日本から持っていきました。だいたい2週間分くらいですね。高度順化と、アタック用の食事です。アタック食といったって、日清食品のカレーメシと詰め替え用のどん兵衛、エナジージェルのショッツ、この3種類だけですよ。あと行動食はインドでグラノーラを買ったり。インスタント系の食べ物は、やっぱり日本から持って行った方がいいですね。インドやネパールにもインスタントラーメンの種類はいっぱいあって、片っ端から買って試してみましたが、ハズすとすごい味ですよ。これは高所では吐いちゃうんじゃないかというくらい。やっぱり日本のどん兵衛が高所の胃には一番優しくて、いいですね。」馬目さんほどのトップクライマーなら、スポンサーを募って遠征費を集められそうですが、なぜそれをやらないのですか?「そういうことはしないですね。でも必然的に残っちゃいますよね。頂上から懸垂下降しないといけないので、支点は残る。今回は、岩にかけたスリングが残っています。」「だいたいぼくの遠征は、一年おきなので今年はお休みして、来年どこへ行こうかと上田さんと連絡をとりあっていますね。上田さんはペルー行きたいなあって言ってましたね。ペルーもいいけど、ぼくはもう一回ヒマラヤの未踏峰に行きたいなあと思っていて。」「どっちかというと、逆で、俺の方が引きづられるんですよ。若い連中に。その結果、オーバーワークになりかねないなという気もして。1泊2日くらいなら若いやつと組んでやるのもいいんですけど、やっぱり長期山行となると同じくらいの歳のメンバーがいいなと。そういう意味では今回はよかったですね。」50代を目前にして、体力の衰えを感じるようになったということは、これから馬目さんはアルパインクライミングの第一線から退いていくのでしょうか?「はい、古本屋で買った厚い単行本です。本は可能な限り持っていきますね。今回は少ない方で、7、8冊。3人あわせたら20冊くらいあったと思いますよ。読み終わった本は、キッチンテーブルに積んでおくんです。そうすると、みんな勝手にそこからとって読む。今回一番面白かったのは、黒田さんが持ってきた吉村昭の『深海の使者』ですね。第二次世界大戦中に日本から同盟国であるドイツへ連合軍に見つからないよう潜水艦を派遣しているんですよ。ジブラルタル海峡を超えると連合軍の勢力範囲なので、ほとんど浮上できない。だから船内がどんどん汚染されて、しかも潜水艦の中は狭くて、これビバークみたいだわって。これビバークよりきついわって盛り上がって。(笑)」これまでの遠征先のネパールでは、村々のロッジに泊まって歩くロッジスタイルで、今回は久々にテントに泊まりながら歩くベースキャンプ方式をやったとムービーのなかでおっしゃっていましたね。「エージェントに頼んでいたコックさん、いわゆるキッチンサポーターがふたりいて毎食彼らが作ってくれました。基本はダルスープとお米ですね。今回はコックをハズしましたね。いままでで一番ひどかったなあ。いやー、いい人なんですけど、料理の腕がいまいちで。それでいて毎日同じメニューなんですよ。3人とも食にうるさい方じゃないんですけど、さすがにきつかったなあ。毎日豆と米。いやー、やられました。」その無名峰の頂上から、ダラムスラ西壁の全容が見えたんですね? どうでしたか?若いメンバーが、馬目さんにあわせるようなカタチになるということでしょうか?お金を出させてください!というスポンサーがいたら拒まないということですね?「ラホール山群の30、40年前の写真があるんですけど、その頃といまとでは、山の様子がぜんぜん違ってて。山へ取り付く間に氷河が後退してできた斜面が100m、200m規模でアリ地獄の縁みたいなガレ場がずーっと両側にあるんですよ。ムービーでもありましたけど、雨が降るとあちこちで土砂崩れが起きて。どこの山もそうなんですよね。唯一僕らが転進した無名峰は、氷河からまっすぐ壁が立っているから危なくなかったんです。だからもう一回あの山域に行っても、あのガレ場を越えないといけないと思うと、ちょっと危ないなあと。だから、もういかないかな。」「いや、あれは大貧民ですね。大貧民しかしなかったですね。インド人の彼に教えて、4人で。そしたら彼はインテリなもんで、大貧民強かったですね(笑)」「ないです。みんなめんどくさがっているだけじゃないですか。(笑)」多方面から聞かれると思うんですが、なぜ馬目さんは山岳ガイドをやらないんですか?