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さて、石坂洋次郎の「あじさいの歌」は、北海道新聞、中部日本新聞、西日本新聞の三社連合に連載された新聞小説。過去に妻が男と出奔したと信じている頑固一徹の金融業者社長が、娘を文字通り箱入りにして育てているが、彼らの前に現れた青年によって、すべて閉ざしていた一家の窓が外 こんばんは! ブログをやってるのですが、不具合があり、色々疲れました。 今日取り上げる映画はこれです! 「あじさいの歌」(1960) 石原裕次郎主演の爽やかな後味の青春映画です。 相手役は芦川いづみ。 この作品は、なんと言っても裕次郎の衣装がかなり良いです。 あじさいの歌1960年 日活監督:滝沢英輔 主演:石原裕次郎、芦川いづみ、轟夕起子、中原早苗この当時は一年に一本石坂ものという感じであったのだろうか?田坂監督… 東宝映画「アラブの嵐」主題歌. ã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãææ¥ã¯ææ¥ã®é¢¨ãå¹ãã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãåµã®ä¸ãçªã£èµ°ãã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãå¤ã®ãã©ãæ¶ãã主é¡æï¼æ ç»ãã¼ã¸ã§ã³ï¼æ¥æ´»æ ç»ãå¤é§ãä»å¤ãæé£ãã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ã天ä¸ãåãã主é¡ææ±å®æ ç»ãã¢ã©ãã®åµã主é¡ææ±å®æ ç»ãæããã³ãããããã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ã太é½ã¸ã®è±åºã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãåµã®åè ãã¡ã主é¡ææ±å®æ ç»ãåéã®å ±é ¬ã主é¡æ 今回紹介する作品は 1960年(昭和35年)日活 あじさいの歌 滝沢英輔監督 あらすじ 若き商業デザイナー河田藤助(石原裕次郎)は、足を挫いた倉田源十郎(東野英治郎)を負ぶって自宅に送った時に純粋培養された娘のけい子(芦川いづみ)と出会う。
日活映画「街から街へつむじ風」主題歌. 憎いあンちくしょう. アラブの嵐. 石原裕次郎主演の日活映画「あじさいの歌」は、1960年(昭和35年)4月に公開されました。その前年、1959年(昭和34年)11月には大映で「浮草」、さらに同年1960年(昭和35年)11月に松竹で「秋日和」が公開されています。
石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演による 青春文芸路線は、再開日活のキャッチフレーズである「信用ある日活映画」の言葉通り、良質の爽やかな佳作が多い。『乳母車』(1956年)、『陽のあたる坂道』(1958年)、『若い川の流れ』(1959年)と、スローペースで田坂具隆監督が作り上げて来た、石坂文学の“理想的な戦後青年像”は裕次郎の好演を得て、一つのジャンルをなしていた。『あじさいの歌』における、倉田家の立派な洋館は“古いもの”の象徴であり、商業デザイナーの藤助による倉田家のリニューアル計画は、その“古いもの”を“こわす”という暗喩でもある。代々木の藤助のアパート、大阪のいく子の曖昧宿、この映画に登場するそれぞれの“家”の在り方にも注目して欲しい。裕次郎が扮するのは、商業デザイナーの河田藤助。ある日、神社の境内で足を痛めていた老人・倉田源十郎(東野英治郎)を助けて、倉田の邸宅へとおぶっていく。戦前からの大きな洋館に感激した藤助は、使用人の木村勇造(殿山泰司)と妻・元子(北林谷栄)に怪訝そうに見られながらも、暖かく迎え入れた娘・けい子(芦川いづみ)の無垢な美しさに魅かれて、あじさいの花の仲でけい子の写真を撮る。快調な滑り出し。それぞれのキャラクターがきちんと描き分けられて、倉田家の“不思議な”状況が見えてくる。藤助の出現で、箱入り娘のけい子を社会に出そうと考える源十郎はステレオタイプの頑固親父ではない。家庭教師の葉山先生(杉山徳子)と源十郎の微笑ましいロマンスも、後半の見どころの一つ。2人が唱歌「♪故郷の廃家」をデュエットしつつ散歩するシーンが実にいい。1960(昭和35)年、日活は小林旭の「渡り鳥」シリーズ、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズ、そして和田浩治の「小僧アクション」を連作。ダイヤモンドラインの若手がアクション中心に活躍していくなか、裕次郎には文芸作中心の演技派スターへの道を辿らせるべく、原作ものを中心に企画。本作に続いて、ゴールデンウィークには石原慎太郎原作『青年の樹』(4月29日・舛田利雄)、7月には源氏鶏太原作『天下を取る』(7月13日・牛原陽一)がラインナップされていた。田坂が『若い川の流れ』を最後に、東映に移籍したこともあって、1960年度の石坂洋次郎作品のメガホンを取ることになったのが、滝沢英輔監督。戦前、山中貞雄らと脚本家グループ「鳴滝組」を結成し、梶原金八の共同ペンネームで数々の傑作シナリオを手がけ、東宝の前身であるP.C.L.映画撮影所で活躍。戦後は、昭和29(1954)年、再開日活に参加。昭和33(1958)年に発表した月丘夢路主演の『白夜の妖女』が、第8回ベルリン国際映画祭に出品され、世界的にその名が知られた名匠である。さて、石坂洋次郎の「あじさいの歌」は、北海道新聞、中部日本新聞、西日本新聞の三社連合に連載された新聞小説。過去に妻が男と出奔したと信じている頑固一徹の金融業者社長が、娘を文字通り箱入りにして育てているが、彼らの前に現れた青年によって、すべて閉ざしていた一家の窓が外に開いて、明るい未来の陽が指していくことになる、という石坂らしい展開。滝沢監督の言葉を再び引用する。<古いものはこわれていかなければならないものであり、それに代わる新しい芽を、明るく、のびやかに描くという原作のテーマを忠実に撮って行こうと思っています。>物語が進むにつれ、倉田家の過去にまつわる屈託がドラマを支配してくる。出奔した妻を許すことができない源十郎と、母親のありのままを受け入れようとするけい子。のり子の兄で新聞記者・島村幸吉(小高雄二)のリサーチにより、母が大阪の飛田で連れ込み宿を経営していることが判明する。さて、そのけい子の社会勉強の友人として抜擢されるのが、葉山先生の生徒でもある、島村のり子(中原早苗)。藤助のガールフレンドでもあるのり子は、けい子とは正反対の活発な女の子。こうして、けい子を中心に、それぞれの「現在」が変わっていく。石坂文学、そして裕次郎映画の素晴らしいところは、“影”の部分である筈の母・長沢いく子(轟夕起子)の存在が“光”となっていく部分だろう。いく子の登場により、登場人物が抱えている多くの問題が解決していくカタルシスは、この映画を魅力的なものにしている。 試行錯誤の末に誕生したのが、「浮草」の主題曲とポルカでした。中でも「浮草」のポルカは大変好評で、旅芸人駒十郎のテーマ音楽のような扱いとなり、劇中に何回も登場しました。ポルカは、その後「秋日和」と「秋刀魚の味」にも使われ、後にそれらは「小津調ポルカ」と呼ばれました。石原裕次郎主演の日活映画「あじさいの歌」は、1960年(昭和35年)4月に公開されました。その前年、1959年(昭和34年)11月には大映で「浮草」、さらに同年1960年(昭和35年)11月に松竹で「秋日和」が公開されています。ちょうど、小津作品「浮草」と「秋日和」の中間頃に「あじさいの歌」は公開されており、3作品とも音楽は父高順が担当しました。父は「浮草」の音楽を作曲するため、ロケ地である三重県志摩郡大王町まで足を運び、地元に古くから伝わる民謡や盆踊りなどを調査しました。老人は倉田源十郎といい、古い洋館風の邸宅に住んでいた。源十郎と藤助を出迎えたのは娘のけい子だったが、藤助はその可憐な美しさに驚かされた。源十郎が病院へ向かった後、藤助は庭に咲くあじさいの花の前で、けい子をモデルに写真を撮らせてもらった。藤助が写したけい子の写真は、「あじさいの歌」と題してデパートの写真展に出展された。会場では、けい子の写真を欲しがる中年男性が現れた。その中年男性は、昔けい子の母いく子と駈け落ちをした藤村だった。やがて、けい子といく子は再会し、いく子はけい子と藤助の交際を祝福した。「浮草」と「秋日和」に使われたお囃子風の音楽は、大王町波切に伝わる「波切盆踊り」を参考にして作曲したようです。「浮草」の主題曲にも、地元の雰囲気をよく表わすような民謡風の鄙びた曲を準備していましたが、小津監督の注文は全く別なものでした。けい子の母は、まだけい子が幼い頃源十郎の会社の部下と駈け落ちしたのだった。源十郎はそれ以来、けい子を外出させなくなり、外部の人間との接触を禁じた。けい子の勉強は家庭教師に見てもらい、けい子が接触できるのは唯一家庭教師の葉山だけだった。藤助は、けい子にとっては久しぶりに接触を許された男性だった。石原裕次郎が父の曲を歌ったのはこの1曲のみでしたが、まさかその1曲が「小津調ポルカ」だったとは、今頃天国で小津監督と裕次郎が目を白黒させているかも知れません。そして、ちょうど同じ頃に撮影された「あじさいの歌」にまで、「小津調ポルカ」が使われてしまったのです。しかも、演奏を担当したのは、松竹大船撮影所音楽部に所属する吉澤博指揮アンサンブルフリージアのメンバーでした。リズム、メロディ、楽器の編成まで似通っているため、「あじさいの歌」の主題曲は「小津調ポルカ」そのものと言って良いでしょう。「映像と音楽が合い過ぎちゃ駄目なんだ。もっと明るくリズミカルな音楽を書いてくれないか。」小津監督からの要求に、父は少々戸惑いました。話し合いを進めていくうちに、主役の旅芸人駒十郎を象徴するような音楽で、リズムは小津監督がお気に入りだった「ビア樽ポルカ」風のポルカ調にしてはどうだろうか…ということになりました。当時、父の音楽は“小津調”と呼ばれることがありました。父は後になって、「何を書いても“小津調”とからかわれた」と当時のことを述懐していましたが、確かに裕次郎が歌う「あじさいの歌」は“小津調”、すなわち「小津調ポルカ」だったのです。倉田家の邸宅は、藤助の手によって大規模な模様替えを行うことになった。源十郎は、家庭教師の葉山と再婚することになった。久しぶりに倉田家を訪れたいく子は、変わりゆく家や家族たちを見て感慨に耽るのだった。
さて、石坂洋次郎の「あじさいの歌」は、北海道新聞、中部日本新聞、西日本新聞の三社連合に連載された新聞小説。過去に妻が男と出奔したと信じている頑固一徹の金融業者社長が、娘を文字通り箱入りにして育てているが、彼らの前に現れた青年によって、すべて閉ざしていた一家の窓が外 こんばんは! ブログをやってるのですが、不具合があり、色々疲れました。 今日取り上げる映画はこれです! 「あじさいの歌」(1960) 石原裕次郎主演の爽やかな後味の青春映画です。 相手役は芦川いづみ。 この作品は、なんと言っても裕次郎の衣装がかなり良いです。 あじさいの歌1960年 日活監督:滝沢英輔 主演:石原裕次郎、芦川いづみ、轟夕起子、中原早苗この当時は一年に一本石坂ものという感じであったのだろうか?田坂監督… 東宝映画「アラブの嵐」主題歌. ã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãææ¥ã¯ææ¥ã®é¢¨ãå¹ãã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãåµã®ä¸ãçªã£èµ°ãã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãå¤ã®ãã©ãæ¶ãã主é¡æï¼æ ç»ãã¼ã¸ã§ã³ï¼æ¥æ´»æ ç»ãå¤é§ãä»å¤ãæé£ãã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ã天ä¸ãåãã主é¡ææ±å®æ ç»ãã¢ã©ãã®åµã主é¡ææ±å®æ ç»ãæããã³ãããããã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ã太é½ã¸ã®è±åºã主é¡ææ¥æ´»æ ç»ãåµã®åè ãã¡ã主é¡ææ±å®æ ç»ãåéã®å ±é ¬ã主é¡æ 今回紹介する作品は 1960年(昭和35年)日活 あじさいの歌 滝沢英輔監督 あらすじ 若き商業デザイナー河田藤助(石原裕次郎)は、足を挫いた倉田源十郎(東野英治郎)を負ぶって自宅に送った時に純粋培養された娘のけい子(芦川いづみ)と出会う。
日活映画「街から街へつむじ風」主題歌. 憎いあンちくしょう. アラブの嵐. 石原裕次郎主演の日活映画「あじさいの歌」は、1960年(昭和35年)4月に公開されました。その前年、1959年(昭和34年)11月には大映で「浮草」、さらに同年1960年(昭和35年)11月に松竹で「秋日和」が公開されています。
石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演による 青春文芸路線は、再開日活のキャッチフレーズである「信用ある日活映画」の言葉通り、良質の爽やかな佳作が多い。『乳母車』(1956年)、『陽のあたる坂道』(1958年)、『若い川の流れ』(1959年)と、スローペースで田坂具隆監督が作り上げて来た、石坂文学の“理想的な戦後青年像”は裕次郎の好演を得て、一つのジャンルをなしていた。『あじさいの歌』における、倉田家の立派な洋館は“古いもの”の象徴であり、商業デザイナーの藤助による倉田家のリニューアル計画は、その“古いもの”を“こわす”という暗喩でもある。代々木の藤助のアパート、大阪のいく子の曖昧宿、この映画に登場するそれぞれの“家”の在り方にも注目して欲しい。裕次郎が扮するのは、商業デザイナーの河田藤助。ある日、神社の境内で足を痛めていた老人・倉田源十郎(東野英治郎)を助けて、倉田の邸宅へとおぶっていく。戦前からの大きな洋館に感激した藤助は、使用人の木村勇造(殿山泰司)と妻・元子(北林谷栄)に怪訝そうに見られながらも、暖かく迎え入れた娘・けい子(芦川いづみ)の無垢な美しさに魅かれて、あじさいの花の仲でけい子の写真を撮る。快調な滑り出し。それぞれのキャラクターがきちんと描き分けられて、倉田家の“不思議な”状況が見えてくる。藤助の出現で、箱入り娘のけい子を社会に出そうと考える源十郎はステレオタイプの頑固親父ではない。家庭教師の葉山先生(杉山徳子)と源十郎の微笑ましいロマンスも、後半の見どころの一つ。2人が唱歌「♪故郷の廃家」をデュエットしつつ散歩するシーンが実にいい。1960(昭和35)年、日活は小林旭の「渡り鳥」シリーズ、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズ、そして和田浩治の「小僧アクション」を連作。ダイヤモンドラインの若手がアクション中心に活躍していくなか、裕次郎には文芸作中心の演技派スターへの道を辿らせるべく、原作ものを中心に企画。本作に続いて、ゴールデンウィークには石原慎太郎原作『青年の樹』(4月29日・舛田利雄)、7月には源氏鶏太原作『天下を取る』(7月13日・牛原陽一)がラインナップされていた。田坂が『若い川の流れ』を最後に、東映に移籍したこともあって、1960年度の石坂洋次郎作品のメガホンを取ることになったのが、滝沢英輔監督。戦前、山中貞雄らと脚本家グループ「鳴滝組」を結成し、梶原金八の共同ペンネームで数々の傑作シナリオを手がけ、東宝の前身であるP.C.L.映画撮影所で活躍。戦後は、昭和29(1954)年、再開日活に参加。昭和33(1958)年に発表した月丘夢路主演の『白夜の妖女』が、第8回ベルリン国際映画祭に出品され、世界的にその名が知られた名匠である。さて、石坂洋次郎の「あじさいの歌」は、北海道新聞、中部日本新聞、西日本新聞の三社連合に連載された新聞小説。過去に妻が男と出奔したと信じている頑固一徹の金融業者社長が、娘を文字通り箱入りにして育てているが、彼らの前に現れた青年によって、すべて閉ざしていた一家の窓が外に開いて、明るい未来の陽が指していくことになる、という石坂らしい展開。滝沢監督の言葉を再び引用する。<古いものはこわれていかなければならないものであり、それに代わる新しい芽を、明るく、のびやかに描くという原作のテーマを忠実に撮って行こうと思っています。>物語が進むにつれ、倉田家の過去にまつわる屈託がドラマを支配してくる。出奔した妻を許すことができない源十郎と、母親のありのままを受け入れようとするけい子。のり子の兄で新聞記者・島村幸吉(小高雄二)のリサーチにより、母が大阪の飛田で連れ込み宿を経営していることが判明する。さて、そのけい子の社会勉強の友人として抜擢されるのが、葉山先生の生徒でもある、島村のり子(中原早苗)。藤助のガールフレンドでもあるのり子は、けい子とは正反対の活発な女の子。こうして、けい子を中心に、それぞれの「現在」が変わっていく。石坂文学、そして裕次郎映画の素晴らしいところは、“影”の部分である筈の母・長沢いく子(轟夕起子)の存在が“光”となっていく部分だろう。いく子の登場により、登場人物が抱えている多くの問題が解決していくカタルシスは、この映画を魅力的なものにしている。 試行錯誤の末に誕生したのが、「浮草」の主題曲とポルカでした。中でも「浮草」のポルカは大変好評で、旅芸人駒十郎のテーマ音楽のような扱いとなり、劇中に何回も登場しました。ポルカは、その後「秋日和」と「秋刀魚の味」にも使われ、後にそれらは「小津調ポルカ」と呼ばれました。石原裕次郎主演の日活映画「あじさいの歌」は、1960年(昭和35年)4月に公開されました。その前年、1959年(昭和34年)11月には大映で「浮草」、さらに同年1960年(昭和35年)11月に松竹で「秋日和」が公開されています。ちょうど、小津作品「浮草」と「秋日和」の中間頃に「あじさいの歌」は公開されており、3作品とも音楽は父高順が担当しました。父は「浮草」の音楽を作曲するため、ロケ地である三重県志摩郡大王町まで足を運び、地元に古くから伝わる民謡や盆踊りなどを調査しました。老人は倉田源十郎といい、古い洋館風の邸宅に住んでいた。源十郎と藤助を出迎えたのは娘のけい子だったが、藤助はその可憐な美しさに驚かされた。源十郎が病院へ向かった後、藤助は庭に咲くあじさいの花の前で、けい子をモデルに写真を撮らせてもらった。藤助が写したけい子の写真は、「あじさいの歌」と題してデパートの写真展に出展された。会場では、けい子の写真を欲しがる中年男性が現れた。その中年男性は、昔けい子の母いく子と駈け落ちをした藤村だった。やがて、けい子といく子は再会し、いく子はけい子と藤助の交際を祝福した。「浮草」と「秋日和」に使われたお囃子風の音楽は、大王町波切に伝わる「波切盆踊り」を参考にして作曲したようです。「浮草」の主題曲にも、地元の雰囲気をよく表わすような民謡風の鄙びた曲を準備していましたが、小津監督の注文は全く別なものでした。けい子の母は、まだけい子が幼い頃源十郎の会社の部下と駈け落ちしたのだった。源十郎はそれ以来、けい子を外出させなくなり、外部の人間との接触を禁じた。けい子の勉強は家庭教師に見てもらい、けい子が接触できるのは唯一家庭教師の葉山だけだった。藤助は、けい子にとっては久しぶりに接触を許された男性だった。石原裕次郎が父の曲を歌ったのはこの1曲のみでしたが、まさかその1曲が「小津調ポルカ」だったとは、今頃天国で小津監督と裕次郎が目を白黒させているかも知れません。そして、ちょうど同じ頃に撮影された「あじさいの歌」にまで、「小津調ポルカ」が使われてしまったのです。しかも、演奏を担当したのは、松竹大船撮影所音楽部に所属する吉澤博指揮アンサンブルフリージアのメンバーでした。リズム、メロディ、楽器の編成まで似通っているため、「あじさいの歌」の主題曲は「小津調ポルカ」そのものと言って良いでしょう。「映像と音楽が合い過ぎちゃ駄目なんだ。もっと明るくリズミカルな音楽を書いてくれないか。」小津監督からの要求に、父は少々戸惑いました。話し合いを進めていくうちに、主役の旅芸人駒十郎を象徴するような音楽で、リズムは小津監督がお気に入りだった「ビア樽ポルカ」風のポルカ調にしてはどうだろうか…ということになりました。当時、父の音楽は“小津調”と呼ばれることがありました。父は後になって、「何を書いても“小津調”とからかわれた」と当時のことを述懐していましたが、確かに裕次郎が歌う「あじさいの歌」は“小津調”、すなわち「小津調ポルカ」だったのです。倉田家の邸宅は、藤助の手によって大規模な模様替えを行うことになった。源十郎は、家庭教師の葉山と再婚することになった。久しぶりに倉田家を訪れたいく子は、変わりゆく家や家族たちを見て感慨に耽るのだった。